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      <title>*おやまのにっき*</title>
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      <description>山菜うまいよ。</description>
      <language>ja</language>
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         <title>「更科そば」と「藪そば」　2</title>
         <description>江戸末期から店の系列は「更科」と「藪」にニ分されました。


現在では20以上の系列があるそうです。


「更科」とは、そばの一番粉を「さら品」とよんだからという説と・・・


そばの名産地、信州更科をかけた説とがあります。


藪は、通人の通うところに藪があるという店のたたずまいから・・・。


また、藪系はそばの葉で色づけした伝統を守り、更科系と比べると、そばが育みがかっているのが特色ということです。


ちょっとおそばを食べたくなってきちゃいました。
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         <pubDate>Thu, 05 Jan 2012 17:03:24 +0900</pubDate>
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         <title>「更科そば」と「藪そば」</title>
         <description>サラリーマンの昼食メニューの第一位はそば。


日本人はそば好きですが、とくに江戸っ子とそばはなじみが深いですね。


もりそばをはしに引っかけ、ほんのちょっと汁につけ、ツツーといっきにすするのが通の食べ方とか、そば屋は薄利多売なのだから早く食べて早く席を立てとか・・・


そばの食べ方には庶民の芙学がタップリこめられています。


その美学に殉じたばっかりに、死ぬ前に「一度でいいからタレにそばをドップリつけて食いたかった・・・」とつぶやくそば好きの江戸っ子が落語に登場したりします。


そば屋の看板には「更科そば」とか「藪そば」とか書いてありますが.これは店の系列で、のれん元が同じということです。


日本人がそばを食べはじめたのは奈良時代。


現在のように麺状になったのは寛永年間（1624～1644)で、江戸人に好まれ、寛文初年にはそば粉8対小麦粉ニを最適量とするニ八そばがつくられ、元禄年間にはそば屋が出現します。


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         <pubDate>Thu, 15 Dec 2011 17:01:32 +0900</pubDate>
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         <title>市場と価格変動　4</title>
         <description>ブルガリア、ハンガリーおよびルーマニアにおける減産が大きく、84年の国際収支だけでなく国内消費市場にも影響を与えるものでした。


家畜生産は、輸入制限および計画を下回る飼料生産によって制約を受けています。


家畜群のサイズは83年を通してほとんど変りませんでしたが、82年末および83年始めにとられた減産計画により、83年後半の食肉生産を縮小させました。


食糧を含む輸出促進計画が強調されている中にあっては、国内供給事情を改善する見通しはほとんどありません。


当時のソ連もいくつかの主要な部門で主要な計画目標を達成することができませんでしたが、全体として5%の成長はかなりのものです。


83年の穀物生産2億トンという数字は、80年代の食糧計画に設置されている81年～85年の年平均生産目標2.38～2.43億トンをかなり下回ってはいますが、1978年以来最高の収穫であり、史上5位の生産高です。


夏期の旱魃の後にきた収穫時期における順調な天候が主要な要因でした。


しかし、農業機器および肥料の投入、買い上げ価格の引き上げおよび農場の計画・管理の実験的改革も重要です。


将来の見通しを良好なものとする要因の一つとしては、「団体契約システム」をあげることができます。

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         <pubDate>Thu, 24 Nov 2011 11:40:37 +0900</pubDate>
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         <title>規則的な日々のパターン</title>
         <description><![CDATA[動物は、規則的な日々のパターンに従って照明されている部屋の中で育てられました。


そして、24時間の活動リズムをはっきりと示した1暗いときに活動的で明るいときに非活動的でした。


活動の水準は、明るくなる直前に下がり、活動は光が消えていく直前に再び始まった。


換言すると、動物は光スケジュールを予期できるかのようでした。


研究者たちはまた、月のリズムの証拠も見いだした。


そして、太陰月の周期全体にわたる活動は変動し、満月後の四日間にピークに達し、新月後数日間にも高い水準を示す。


ブラウンとパークによると、これらの結果は、月の出直前と月の入り直後すなわち暗い時期におこる多くの活動と等価です。


そして、同じような結果がハムスターについて二年間にわたって得られました。


相関は0.52で、きわめて有意です。


したがって、生物学的リズムは、太陽と月の支配のもとにあるらしい(´ω｀)


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         <pubDate>Wed, 12 Oct 2011 18:32:49 +0900</pubDate>
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         <title>市場と価格変動　3</title>
         <description>計画を超えた工業活動は中国において最も著しく、重工業および軽工業について、計画ではそれぞれ3.9%増、4.1%増でしたが、実際にはそれぞれ12.1%、8.4%でした。


この差異は政策当局の重大な懸念材料となりました。


特に運工業の急成長は、エネルギーおよび原材料部門への需要を拡大させ、そのため他の部門からそれらの供給を移転するより他なかったのです。


しかも、このため、輸送能力は過剰な負担を強いられ、生産増加が計画レベルに合致しなかったため、大量の在庫が残りました。


更に急激な拡大は供給部門にボトル・ネックを生ぜしめ、産業内自体における不均衝を生み出しました。


またこのため、投資支出は計画を上回り、消費者物資の可能な供給では充たされない購買力の拡大につながり、また年央において、強制的な措置をとらなければならなくなったような物価の上昇圧力となりた。


1982年に記録した中央計画経済国全体の比較的良好な農業生産とは対照的に、83年の農業生産は不均斉でした。


アジアの中央計画経済国では食糧および産業作物または家畜生産は順調でしたが、多くの東欧諸国および当時のソ連では、春の洪水と雨の少ない猛暑といった悪天候が、収穫期に大きな打撃を与えました。


夏の小麦作物が悪影響を受け、粗粒作物、根菜類および飼料作物は特に損失をこうむりました。


東欧および当時のソ連は食糧自給率の上昇、特に輸入依艘の引き下げを意図していました。


農作物は家畜生産を上回るものとされていました。


輸入抑制は厳しく実施されましたが、穀物、根菜類および飼料作物の減少は全農業生産の停滞を引き起こしました。


1983年の東欧での穀物収穫は多くの国で前年比約5%減となりましたが、これは記録的な低下なのです。

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         <pubDate>Wed, 12 Oct 2011 11:33:30 +0900</pubDate>
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         <title>市場と価格変動　2</title>
         <description>厳しい国際収支の状況に鑑み、経済活動は、特に農業およびエネルギー製品に関して、輸出と輸入代替の生産に向けられています。


東欧諸国およびソ連において、1981年～1982年の工業部門成長率はやや低いものでした。


平均3.5%という1983年の成長目標はほとんどの国でほぼ達成されました。


しかし、ルーマニアが例外となっています。


それは、深刻な対外収支困難国内燃料供給の硬直性および加工部門のボトル・ネックによるものです。


一方、ポーランドでの景気回復は好調で、原材料およびエネルギー節約におけるすべての成果および市場経済国への輸出増加により、他の国の目標達成にも貢献しました。


多くの場合、この目標は、国内市場に供給すると指定された物をも含めた輸出増加と輸入抑制の緩和により達成可能となったものです。


しかし、コメコン域内において基礎的工業インプット財を確保することの困難、および交換可能通貨建て外貨準備の厳しい管理のため、他の輸入源を見つけることは困難でした。

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         <pubDate>Sat, 10 Sep 2011 11:30:41 +0900</pubDate>
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         <title>市場と価格変動</title>
         <description>現行の価格を、対内および対外的なコスト状況に合致させることに加え、政策当局者は価格管理の緩和に傾きつつあります。


しかしながら、市場における混乱を防ぎ、消費者の抵抗を最小限にとどめるために、価格柔軟性の導入は徐々に進められなければなりません。


このことは、ポーランドのような大きい不均衡をかかえる国に当てはまる。


また、卸し売り物価を5年またはそれ以上の長期間の間隔をT[E1_いて調整する政策をとっている国にも当てはまるものです。


1983年には多くの東欧諸国において年間計画にはない価格変動が見られました。


実質賃金および実質社会移転の伸びは計画通り小幅にとどまりましたが、83年に入って、国際収支への配慮から輸入をさらに抑え、輸出を一層促進する措置が必要となりました。


同措置の一部は消費者物価の急激な修正という形をとり、一部は、また、供給の削減と言う形をとったため、物資の不足を生ぜしめたのです。


また、いくつかの措置は物資の配給制度につながり、政府が優先的に輸出向けに指定または必要量を輸入しないようにする措置となりました。
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         <pubDate>Sat, 20 Aug 2011 11:29:41 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>住みよい住まいとは　2</title>
         <description><![CDATA[結婚期から、保育期、子供の教育期、子供の独立期という、ライフサイクルに合わせて・・・


住まいを変化させ、住みやすく対応させていくことが大切です。


<a href="http://temponotatsujin.jp/" target="_blank">蛍光灯　激安</a>なら照明を買い換えるのもいいでしょう。


さて、外での生活がハイスピードになり、いろいろな所で緊張を強いられ、ストレスがたまりやすくなっていけばいくほど、家庭は、心の解放場所でなければなりません。


心の緊張感を解きほぐし、裸になれる所が住まいだといえましょう。


誰に遠慮もせずに、自分をさらけ出し、身も心も自由に振る舞える所が本当の住まいではないでしょうか。


そのためには、家族一人一人が、身心ともにリラックスでき、安らぎを感じる快適な空間でなければなりません。


・・・そういう住まいなら、健康的で、また明日のエネルギーや活力がつくられる所になっていくと思います。


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         <pubDate>Sat, 09 Jul 2011 14:46:03 +0900</pubDate>
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         <title>住みよい住まいとは</title>
         <description><![CDATA[当然のことですが、住まいの最低条件は、住む人の生活が安全に、快適に営めることです。


住まいでは非常に私的な、個人的な行為(食事、排泄、入浴、夫婦生活、育児、睡眠、休息・・・)が行われる所です。


そして、次の世代を担う子供を育て、教育していく場所でもあります。


子供の人間関係を形成し、文化を伝え、また、一人前の人間として生きていくためのマナーや、約束ごとを教えていく大切な場所でもあります。


そんな家庭の役割が十分安全に快適に行われるような所が住まいなのです。


家族は、常に一定不変ではありません。


一組の男女が結婚し、子供を生み育て、子供が巣立ち、再び夫婦二人になっていくさまざまな過程があります。


住まいも、<a href="http://temponotatsujin.jp/" target="_blank">蛍光灯　激安</a>などのインテリアや照明も、おのおのの家族の状態に応じて対応させていくことが必要です。

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         <link>http://lwwoc.com/2011/06/post_31.html</link>
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         <pubDate>Wed, 08 Jun 2011 14:44:53 +0900</pubDate>
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         <title>悲しい女たち　4</title>
         <description>こうした過度労働の強制に加えて、さらに残虐な仕打ちを受けた工女たちは、ひそかに逃走を企て、深夜縁の下から逃亡する者も出ました。


そのため、これを防止するため工場の周囲に柵を設け、門扉に鎖錠をつけて出入りを厳重にしていました。


最も残酷な行為としては・・・


工女たちはかつて入浴などしたこともなかったので、頭髪にシラミが生ずることが多かったのですが、これをみた雇主はシラミ撲滅と称して、無法にも2名の工女の髪の毛を断ち切ってしまったりしました。


さらに驚くべき懲罰は、残酷なうえに記すのもはばかれるばかりに卑わいな仕打ちでした。


そのおぞましいばかりの状態は


『一、全部裸体ノ儘女子二人ヲ背合セトナシ両足間二荒縄ヲ通シテ直立セシム、


二、裸体ノママ右手二熱湯ヲ盛リタル茶碗ヲ持タセ左手二機械用ノシンシヲ持タセ機台ノ上に直立セシム、


三、全身裸体ノ儘脚間二糸桓若シクハ石油缶ヲ狭ミ而シテ両脚ヲ緊縄ス』


・・・というおそるべきものでした。


しかもこれすらまだ軽いものであったのです。


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         <pubDate>Thu, 26 May 2011 16:07:26 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>悲しい女たち　3</title>
         <description>2工場とも老杉竹樹の蒙密な中に建てられていて、終日日光が入らず、空気の流通など全くない所でした。


また、工場に必要な食堂・湯殿・寝所等の設備は少ないというより無いに等しかったのです。


同工場の製品はコールテンで、幅3尺あり、普通の織物にくらべれば労力を要するにもかかわらず価格は安く、日々の織上げを多くしないと思う程の利益を得られなかったのです。


現に埼玉県の実際の監獄で先頃女囚にこのコールテン織を織らせていましたが、その労力が不適当なので、男囚に織らせているくらいでした。


初五郎の工場では、工女1人につき日に2丈5尺を課していました。


これは年少の工女かもしくは不熟練者のものでは到底達成できない量であり、強いてそれを織ろうとして身体が疲労しそのために死んだ者は一、二に止まらなかったといわれています。


エ女は14、5歳以上25歳以下で現数24人、いずれも富山・石川県生まれの者です。


あまりの疲労で就業中おもわず居眠りを催す者や、疲労のため声をからし機歌さえ唄えなくなった者もいました。


それにもかかわらず初五郎母子は、もっと働かせるために小僧に見張らせ、坐って眠る者には容赦なくこん棒で打ちすえ・・・


あるいは病気と称して働かない者がある時は、「病人に食事は大毒なり」といって一切食物を与えなかったので、工女たちは無理をして仕事をする有様でした。


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         <pubDate>Tue, 26 Apr 2011 16:06:22 +0900</pubDate>
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         <title>悲しい女たち　2</title>
         <description>当例こそまさしく工女虐待の極というべき事例です。


明治35(1902)年8月20日の『時事新報』は概略つぎのような記事を載せています。


まず、はじめに当局の回答を示せば


「両女申立ノ実否ヲ探偵中」で「係ル工女待遇上ノ状況ハ精査中二有之不日御回答及為念申添候也」


・・・という煮えきらない内容のものでした。


記事は、工女虐待の件、埼玉県大宮の機織業金子初五郎(26)、実母マン(50)及び機織頭竹澤宇吉(26)、同黒須元次郎(25)の4名が、雇工女を虐待した件を以て去る6日浦和地方裁判所へ拘引された次第(判決・初五郎は重禁固2年罰金30円等)について、身の毛もよだつ惨状を記しています。


さて、監獄同様の工場は、昼夜の区別なく錠を下していました。


裏木戸も厳重に錠を下し、居宅台所から屋外へ通ずる出口も、2個の錠前を設け、昼間は家人等が交替で勝手座敷の2ヶ所で見張りをし、工女の出入りを警戒していました。


工場の建物は、2棟の平屋造りで、1つは北に向いた奥行3間、間口11間で、その中に19台の機台が据え付けられていました。


他の1棟は東向きで奥行3間、間口7間で機台8台が置かれていました。


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         <link>http://lwwoc.com/2011/03/2_1.html</link>
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         <pubDate>Sat, 26 Mar 2011 16:05:19 +0900</pubDate>
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         <title>悲しい女たち</title>
         <description>つぎの例によると当時の警察の偏向ぶりがより明らかとなります。


大阪新聞社第6589号の雑報欄内「紡績工女誘拐者の強姦」と題する記事は、男工5人が共謀して紡績工女を誘拐し強姦した顛末について記しています。


男工たちは会社の見張り役でした。


工女5人の親は同事件に対し、総代を選び堺署に保護を願い出ています。


同署から高田警察署に照会したところ、5円の前金を借りているのでこれを返済しなければ連れ帰ることはできないが、貧者のことで5円を出せずようやく4円にまけてもらい、諸道具を売り払い金を揃え、去る10日やっと救出することができたといいます。


このことが北署の知るところとなり加害者の捜索に着手し、男工4名を捕えたが、まだ1名は行方不明です。


この事件に対する大阪警察の回答もまた紡績会社に有利な内容のものでした。


・・・すなわち前記3人の男工のうち1人は、ひそかに工女の寝床に忍び入り、情欲を遂げましたがこれは強姦ではなく和姦であるとするものでした。


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         <link>http://lwwoc.com/2011/02/post_27.html</link>
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         <pubDate>Sat, 26 Feb 2011 16:03:54 +0900</pubDate>
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         <title>つぎはぎだらけの情報システム　10</title>
         <description>【ステージ5・・・アーキテクチュア期】


情報システムの統合が進むにつれ、新しい時代に向けて情報システムの基本的なあり方が確立します。


つまり、企業戦略を前提にしたSISのアーキテクチュア(基本的な枠組み)ができる段階です。


【ステージ6・・・分散期】


SISの枠組みが一応できると、次にパソコンやCADなど、新しい技術が基本的なアーキテクチュアの中に組み入れられ、統一されたインフラの上に乗った分散処理が確立。


ネットワーク型の情報システムへと進化します。


ノーランはさらにステージ7以降の発展段階についても研究中だと言われます。


このノーランのステージ理論を、現実に当てはめると現在はどの段階にあるのでしょうか。


アメリカでは技術的不連続性が80年ごろに発生しました。


そして現在は多くの企業が、アーキテクチュア期(ステージ5)に入り、SIS構築へと邁進しています。


それに対して日本では、技術的不連続性は通信自由化が実現した85年に本格化したと見られます。


そして、80年代後半の好景気に対応した情報化投資を盛んに行ってきたため、つぎはぎの状態に陥っているのです。


それを見直し、統合しようという動きが最も盛んです。


つまり、日本の企業はちょうど統合期(ステージ4)にあり、先進的な企業がSISを確立してステージ5に入っています。


日本の情報化レベルは、やはりアメリカに5年ほど遅れていたのです。

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         <pubDate>Thu, 06 Jan 2011 12:40:01 +0900</pubDate>
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         <title>外国語学習の必要</title>
         <description><![CDATA[今日、<a href="http://www.healthy-one.co.jp/online_shop/detailsfile/echinacea.html" target="_blank">エキナセア</a>を注文してみました。


届くのが楽しみですねー。


さて、外国語学習の必要を説く鴎外や漱石の文章はなかなか興味深いものがあります。


『坊ちゃん』には・・・


主人公の坊ちゃんが、初めて赴任校の校長に会う校長は教育の精神について長いお談義を聞かした。


おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。


校長の云うようにはとてもできない。


おれみたような無鉄砲なものをつらまえて、生徒の模範になれの、一校の師表と仰がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。


そんなえらい人が月給四十円ではるばるこんな田舎へ来るもんか。


おれは嘘をつくのが嫌いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断わって帰っちまおうと思った。


とうていあなたのおっしゃる通りにゃできません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をばちつかせておれの顔を見ていた。


やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通りできないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。


そのくらいよく知ってるなら、始めからおどかさなければいいのに。


・・学校の教師は、何よりもまず教育者でなければなりません。


生徒を指導するときに、生徒よりも学問において、また人間としてすぐれていなければ、教育というものはありえません。


小鳥は教えられなくとも、やがて巣から飛び立つことができます。


しかし人間はそれだけではいけません。


大人になるまで教え育てられて、はじめて人間社会に入ることができるのです。


過去の文化遺産を受けつぐ人間の世界はそこに成立します。


教師が生徒に馬鹿にされるようなところに教育はあり得ません。


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         <pubDate>Mon, 13 Dec 2010 13:12:01 +0900</pubDate>
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