悲しい女たち 3
2工場とも老杉竹樹の蒙密な中に建てられていて、終日日光が入らず、空気の流通など全くない所でした。
また、工場に必要な食堂・湯殿・寝所等の設備は少ないというより無いに等しかったのです。
同工場の製品はコールテンで、幅3尺あり、普通の織物にくらべれば労力を要するにもかかわらず価格は安く、日々の織上げを多くしないと思う程の利益を得られなかったのです。
現に埼玉県の実際の監獄で先頃女囚にこのコールテン織を織らせていましたが、その労力が不適当なので、男囚に織らせているくらいでした。
初五郎の工場では、工女1人につき日に2丈5尺を課していました。
これは年少の工女かもしくは不熟練者のものでは到底達成できない量であり、強いてそれを織ろうとして身体が疲労しそのために死んだ者は一、二に止まらなかったといわれています。
エ女は14、5歳以上25歳以下で現数24人、いずれも富山・石川県生まれの者です。
あまりの疲労で就業中おもわず居眠りを催す者や、疲労のため声をからし機歌さえ唄えなくなった者もいました。
それにもかかわらず初五郎母子は、もっと働かせるために小僧に見張らせ、坐って眠る者には容赦なくこん棒で打ちすえ・・・
あるいは病気と称して働かない者がある時は、「病人に食事は大毒なり」といって一切食物を与えなかったので、工女たちは無理をして仕事をする有様でした。